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zoom RSS 【ICTデータベース】アルゴリズム戦記課題

<<   作成日時 : 2015/05/04 10:44   >>

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みなさん、こんにちは!
かばでぃです(^^)
このブログは授業の一環で投稿しております!

今回、僕の担当は12,16,20です。
では順番に書いてきます。



【世界初、プログラムの自動生成「ピカソ誕生秘話-その6」--アルゴリズム戦記(12)】

【要約】
まずはプログラムの自動生成に関してである。
アルゴリズム戦記(9)では「私はベクトル描画ツールで強く推奨している。これは、ベクトル表示が速度を稼げ、そして描画プログラムの自動生成機能を作るからである。当時はプログラムの自動生成は夢物語だったため私は誰にも言わずプロジェクトを始めた」とある。
その後プログラム自動生成機能の付属機能として、データを"data文"にして生成し、実行速度をやや向上させる方針でプロジェクトを進める一方、私はこの機能に満足はできなかった。絵を描くBASICのコードがあれば、それをユーザの自前のプログラムのサブルーチンに追加すると、画像豊かなプログラムが出来上がる。BASICのコードがピカソで自動的に生成できれば、生産性は一気に向上する。描画速度は2-30倍速くなると見込まれた。行番号の自動生成、255文字制限や改行コードの問題など、プログラムの自動生成のためにテキストコードを変更することでいずれもクリアしてこの機能は成功した。
この機能ができたおかげで、システムハウス、とりわけ当時は20000社あるといわれたゲームメーカーがほとんどこのユーザになった。
しかし、コンピュータ科学の当時の権威ある人たちは、だれ一人この快挙を認めてはくれなかった。けれども私はあきらめなかった。

【論評】
絵を描くBASICコードがあれば自動的にプログラムとして動き、絵が描ける、というシステムは画期的である。簡単なデザインならそのように誰もができるような状態にすることが望ましい。しかし、やはりプロにしか描けないものもある。その点を比較してみると、簡易なシステムに頼るよりプロフェッショナルであるデザイナーに一任するのがベストであるだろう。


【フルオブジェクト指向システムJ-Star Jr.Jシステム開発への参加、日本初テクニカルライティング・チームの立ち上げ--アルゴリズム戦記(16)】

【要約】
1985年-1986年に私たちは日本初の仕事に挑戦することになった。オブジェクト指向システムの開発である。開発コードしか明かされず、何もかも秘密のベールに包まれた開発であった。はっきりとしているのは、オブジェクト指向型のシステムの開発ということだけだった。集められた幾つかのチームが合同で何度か会合を持ったが、我々以外はオブジェクト指向という概念になじみがなかったようである。
私はまずオブジェクト指向とは何かをスタッフに解説した。ゼロックス社を開祖とするデスクトップ思想についても薀蓄を何度も傾けた。ゼロックス社のパラアルト研究所で1970年代の10年間研究開発された事務用マシンの上に実現したものが、オブジェクト指向やデスクトップ思想なのである。
出だしは順調のように見えた。しかし、せっかく書いた入門編は無駄になってしまった。仕様が変更になったからである。マシンとソフトウエアの開発は遅れがちである。システムの完成と同時にマニュアルができていなければならない。ライティングは、手作業である。時間画がかかるのである。先行して進めたいが、仕様が変わってしまっては何にもならない。それでも、妥協して、機能設計書ができたら、それを読みながらマニュアルを書くということにした。
最後に、日本語の文法の問題で、悶着が起こった。富士ゼロックスに雇われたプランナの一人が、我々の書いたマニュアルを読んで、主語がふたつあるのはおかしいなどといい始めたのである。典型的な日本語音痴の発言なのだが、これには、誠に困り果てた。解決策として廣済堂印刷のコピーライタに依頼した。
簡単にまとめると、完成したシステムは、「J−STAR Jr.」(開発コードM6060,フルオブジェクト指向システム)で、60−70名のテクニカルライターを動員し、全11巻(総ページ数約1300ページ)であった。
今は昔、日本のオブジェクト指向の黎明期の記念すべき出来事だった。

【論評】
文言は重要である。特に自分は法学部なので文言が少し違うだけで解釈が違い、その結果どうなるかということについても専門的に学んでいる。マニュアル一つとってもそうである。同じようなことが書かれていたとしても後々のトラブルを避けるために専門家に頼むという手段は妥当であるといえる。



【アルゴリズム戦記(20)】

【要約】
アメリカのマックスファクター本社はプロクター&ギャンブルに買収された。MMLの成功は、我々を英雄にしたが、多くのねたみも買ったようである。大手のコンピュータメーカ数社が広くシステムハウスにMMLシステムの構築の提案を求めた。
クライアントサーバシステムが台頭し、クライアントとサーバーを結ぶことが容易になってきたのである。当初はMMLのほうがスピーディで、大型計算機の巨大パワーが生かせるという意味での利点も多かったが、いかんせんクライアントサーバシステムのほうがはるかに安かった。イノベーションは安くて劣るパフォーマンスの姿をしてやってくるのである。マックスファクターの後には、エステー化学(株)に当社のMMLの製品であるDSS−CUBICを納入してカストマイズし幾つかの追加機能を製造したのを最後にMML事業は終わった。この仕事で通信の技能を獲得し、分散協調システム、「リッチクライアントシステム」の実際を作り上げた実績を蓄えることができたのである。これらは、今でも我々の財産である。

【論評】
時代は常に動いていく。新機種が出たと思ったら、またすぐに新しい機種がでる。しかし、その根幹となるシステムを作るのはやはり時間がかかる。その基盤を作成するイノベーションというものが今の時代には必要なのではないだろうか。

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